こんにちは、なるけんです。
新型コロナウイルスの影響で家で過ごすことが増えてきました。
ブログ書いたり、仕事したり、片付けしたり。
それ以外にもDVDをみたり、漫画を読んだり、アニメみたり。
エンタメ作品見て感動するのは大好きなのでしょっちゅう触れる機会を作ってます。
映画館に行くよりもウチで一人で満喫するスタイルです。
テレビは捨てちゃったけど、DVD見たりゲームはしたい。
それを解決するためにプロジェクターを導入している我が家。
DVDは大画面で見れるし、仕事にだって使えるし、結構便利なわけです。
これだけ時間がある今日この頃なので、最近はプロジェクターが活躍する機会がだいぶ増えてきました。
いろんなDVDも見てきたので、オススメを紹介しよっかなと思ってこの記事を書いています。
ここ最近で一番心が動いたのは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』です!
小さな頃から僕はアニメ作品が大好きで、クレヨンしんちゃんもかなり見てきました。
このオトナ帝国の逆襲も子供の頃に見た作品。
“なるけん”
ですが、この時期あたりの映画版クレヨンしんちゃんってちょっとダークな所あるじゃないですか?
暗黒タマタマとかヘンダーランドとかさ。
この作品も、オトナ帝国に連れ去られる前日のみさえとひろしの顔が真っ黒になる演出になかなかの不気味さを感じてビビりまして…。
それ以来、あまり見ていなかったんですよね。
幼い頃に見たこの作品、30歳手前になった今見たらどう感じるかな?って思って改めて見てみることにしたんです。
もう、本っ当に見直してよかった!!
大人になった今こそ見る作品だったと痛感しました。
なので、この作品を見て感じたことをまとめていきます。
※若干のネタバレあるので注意!
目次
そもそも、どんな映画?
春日部の街に新しく「20世紀博」というエンターテイメント施設が生まれ、大人がどっぷりハマってる状況から物語は始まります。
懐かしいおもちゃで遊べたり、憧れたキャラクターになりきるスタジオがあったり。
子供達なんてお構いなしで遊ぶ大人達。
風間くんやネネちゃん達とキッズスペースで会うことも当たり前になるほど、町中の大人達がひっきりなしに利用し夢中になっていました。
ある日、テレビに20世紀博からお迎えの合図が映りました。
そこからひろしとみさえの様子が一変します。
“なるけん”
子供のように過ごす大人達を見て慌てるしんちゃんとひまわり…。
そんな子供達を置いて、町中の大人達が全員20世紀博に連れ去られてしまいます。
これは、「イエスタデイ・ワンスモア」という団体が懐かしい《匂い》を使って時代を20世紀に戻そうという企みから引き起こされた現象でした。
大人達、そして新しい時代を取り戻すため、かすかべ防衛隊withひまわり&シロが大人達に立ち向かっていく、って話です。
心が動いた場面。
『心が空っぽだからモノで埋めようとしている。』
この作品の中にはハッとさせられる台詞で溢れています。
この作品を見始めて一番最初に刺さった言葉がこれでした。
イエスタデイ・ワンスモアのリーダー:ケン、恋人:チャコが今の日本を憂いていた場面のチャコの台詞ですね。
昔はあんなに夢と希望で溢れていた未来。
今の日本に溢れているのは汚い金とゴミばかり。
だからこそ、未来を信じられる時代に戻す計画を企てたわけですね。
心を埋めるためにモノを使って武装する。
思い当たる節がいっぱいあって、全然人ごとに思えませんでした。
モノが手に入る事で心が埋められるのなんてほんの一瞬。
すぐにまた心に隙間ができて、別のものが欲しくなる。
そうやって自分の周りにものが溢れていってたんだなって思いました。
『本気で21世紀を生きたいなら、行動しろ。』
野原一家がケンとチャコの自宅に招かれた場面でケンが言い放った一言ですね。
20世紀に戻すための機械を「自分たちが起動させる前に止めてみろ」って意味で使われてました。
ただ、これって我々の現在にも当てはまるって思いました。
毎日がただ過ぎ去っていくだけの生活では、周りが決めた動きに流されていくしかない。
それで満足ならいいんだけど、そうでないなら《行動》しないといけない。
行動に移さないで不満だけ言っている人、あまりにも多くないだろうか?
自分もそんなことしてないだろうか?
この作品のように未来が奪われる可能性は僕たちにはないでしょう。
ダラダラ過ごしても当たり前のように明日がやってきますから。
危機感がないからこそ、自覚なく周りに流され続けてしまいます。
理想があるならウダウダ言わず、ちゃんと自分の力で動きだそう。
そんなこと感じました。
ひろしの回想。
子供の頃見た時と比べて「大きく見え方が変わった場面」は2箇所ありました。
そのうちの1つはここです。
子供に戻ってしまったひろしを元に戻すために、しんのすけがひろしの臭い靴の匂いを嗅がせます。
懐かしい匂いで子供に戻っていたひろしの脳内に蘇った《これまで人生》を描いたほんの4分くらいの一場面です。
父親の背中を見て自転車に乗っていたけど、気がつくと自分1人で自転車が漕げるようになった。
彼女ができたけど、別れもあった。
地元を離れて、新しい街で社会人になった。
仕事でうまくいかない事もあったけど、同僚がいっぱい励ましてくれた。
妻に出会って、それから子供も授かった。
マイホームを買って、家族を守るために仕事も頑張る毎日。
疲れ切って電車に揺られるも、帰ったら出迎えてくれる家族。
一緒にお風呂に入ったり、一緒に晩酌を楽しんだり。
今度は自分が自転車を漕いで、子供を後ろに乗せている。
これがたった4分に描かれているわけです。
嫌々子供に連れ添って映画館に行かされた大人達を泣かせた伝説のシーンですね。
僕はここで描かれたシーンの半分ほどしか味わえていない。
それでも、今までの人生を思い返さずにいられない。
靴の匂いで全て思い出して『父ちゃん、オラがわかる?』『……ああ…。』としんのすけを抱きしめる場面には鳥肌が立ちました。
【どんな人にも積み重ねてきた人生がある】ってことを改めて認識できます。
セリフ無しで、BGM1本と映像のみでこの場面を作った製作陣を本当に尊敬します。
『俺の人生はつまらなくなんかない。家族がいる幸せをあんた達にも分けてやりたいくらいだぜ。』
東京タワーを登り始める前に、ひろしがケンとチャコに言い放った一言ですね。
いやーー、かっこいい!!
劇場版のひろしってなんで毎回こんなにかっこいいんだろう。
先ほどの回想シーンでは、上司に怒られたり、遅くまで働いたり、彼女と別れてしまったりと大変だったシーンも描かれていました。
家族と過ごした時間と比べれば、きっとそんな問題もちっぽけになるんだろうなって思います。
しんちゃんが階段を登る時の音楽。
もう1つの「大きく見え方が変わった場面」はここ。
ケンとチャコが最上階に向かうエレベーター。
この扉をひろしが止めるところから音楽が始まります。
シレッと上記の《ひろしの回想》のBGMのアレンジからスタートしていてゾクッとなりました。
みさえ、しんのすけ、ひまわり、シロだけで階段を登り始めるところから音楽の空気が代わり、しんのすけ1人で登り始める場面から一気に疾走感のある曲調に切り替わります。
これがもう本当にしびれました。
家族が追っ手を食い止める中、未来を取り戻そうと階段を登り続けるしんのすけの必死さが痛いほど感じられる場面になっています。
僕、音楽がすごく好きなんですよ。
主題歌が魅力的だったらそれだけで映画も見に行きたくなってしまいます。
“なるけん”
歌詞が素敵な曲を探すのが密かな趣味なのです。
それをしてると作品内の音楽にもすごく焦点が当たるようになってしまって。
この場面のBGMのタイトルは『21世紀を手に入れろ』。
タイトルすらしびれますよね。
家族愛を感じさせる「優しい曲調」から「疾走感ある力強い曲調」に切り替わっていく魅力、ぜひ耳を澄まして聞いてみてほしい。
『オラ、大人になりたいから。』
東京タワーを登りきったしんちゃんがチャコに行った一言。
『オラ、大人になりたいから…』
『大人になってお姉さんみたいな綺麗なお姉さんといっぱいお付き合いしたいから!!』
やーー、しんちゃんっぽいですよね。
重厚なテーマの作品なんだけど、
こういうフレーズがあるからこそ「クレヨンしんちゃんだな」って感じられる気がします。
子供の時って誰しもが「早く大人になりたい」って感じてたと思うんです。
「大人になんてなりたくない」って斜に構える時期もあるかもですけど、仕事をしてやりたいことをやって家庭をもって生きていく大人への憧れはきっとみんな持っていたんじゃないかなって感じます。
『子供の時に憧れていた「大人」になった今、胸張って昔の自分に会えるだろうか?』ってしんちゃんの一言から感じました。
未来を取り戻すために必死に階段を登ったしんちゃんのように、死に物狂いで自分は走っているだろうか。
『昔』に魅力を感じるのは可能性に溢れていたから。
意識して過ごしていなければ
大人になるにつれ、明確に自分の可能性は失われていきます。
夢も希望も少しずつ捨てて、歩いていく道を狭めていく。
仕方のないことなのかもしれませんが、やっぱり少し寂しく感じます。
プロ野球選手になることもアイドルになることもできない。
現実を知って諦めていくことが自然と当たり前になっていく。
でも昔はそんなことなかった。
『昔』に魅力を感じるのは、【自分が可能性に溢れていたから】だと作品を見終わって思うようになりました。
いつになっても可能性を生み出すことができれば、昔を懐かしむことはあってもきっと未来に目がいくようになるでしょう。
夢中になって可能性をこじ開けて生きていく。
作中、20世紀博で夢中になる大人を見る子供の《シラけた目線》がとても印象的にうつりました。
「いい大人が何やってるんだよ」って子供たちの顔に書いてある感じ。
これって、夢中になるようなことが《普段の大人たち》になかったからじゃないかと思うんです。
漫画が好きで時間があればいつも漫画を読み漁っている。
バイクが好きで、四六時中カスタマイズしてる。
映画が好きで、休みの日はいつも映画館に付き合わされる。
大人がそうやって自分の好きなものに夢中になってる姿が《当たり前》であれば、きっとそんなシラけた目で見ることはないでしょう。
呆れる瞬間があったとしても「そんなに好きなんだ」って理解できるでしょうし。
ただ、これはきっと現実を知ったり、家庭ができたり、子供ができたりして
「大人ならこうしないと…」
「親としてこんな姿は見せられない…」
と自分で無意識に生き方を狭めていった結果じゃないかなと感じています。
しんちゃんは未来を掴むために転んでも怪我しても階段を登っていった。
僕たちも同じで、どんなに苦しい事があったって大人への階段を登り続けないといけない。
諦めるのでなく可能性を見出して生きていきたい。
「いい大人」になったからこそ好きな事に打ち込んでいたい。
子供から呆れられるくらい人生に夢中になって、自分の可能性をこじ開け続けてやる。
この作品を見てそう思いました。
悪役が本当の悪い人たちじゃない、
人が死ぬ場面がない、
年齢に関係なく楽しめて感動できる。
そんな作品って素敵ですよね。
ぜひ、時間に余裕のある今こそ、大人になった今こそ、見返してみてください!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
またねー。